毒親と絶縁のその後
毒親とは?
「どくおや」と読みます。字のとおり「毒」を我が子に与える親の意味で使われています。虐待、過干渉、育児放棄などのケースにより毒親は子どもの心、場合によっては体を傷つけます。
「毒親」の言葉の由来は、アメリカの精神医学者スーザン・フォワードの著書『毒になる親』から来ています。日本で「毒親」が使われるようになったのは最近のことです。毒親から絶縁しにくい理由
毒親の被害にあっている子どもは、なかなか毒親から離れられません。毒親から遠く離れて暮らしても精神的に絶縁できないケースがあります。なぜでしょう。
セリグマンの学習性無力感
心理学者のセリグマンは犬によるストレスの回避実験をしています。犬を身動きできない状態にし数回電気ショックを与え、一方の犬にはパネルを鼻で押すとショックを回避できるようにし、実際学習し回避するようになりました。
もう一方の犬には電気ショックを回避する手段は与えませんでした。その後この犬たちで学習実験を行いました。2つに分かれた部屋の片方に入れられ、電気ショックを与えました。 もう片方の部屋は電気ショックを与えられないため、先程回避できた犬はやがて学習して安全な部屋へ逃げるようになりました。しかし先程回避できなかった犬は、逃げられる状況でも安全な部屋へは逃げ込まず、ひたすら電気ショックに耐え続けました。 逃げられない状況を経験してしまうと、次に逃げられるチャンスが来ても学習せずに諦めてしまうことを「学習性無力感」といいます。毒親に育てられた人が陥りやすいため、抜け出す勇気が必要です。罪悪感
なぜ毒親に迷惑を掛けられているのに「絶縁」によって「罪悪感」を感じてしまうのでしょう。そこには親と子の「共依存」の関係が考えられます。
毒親は子どもをコントロールすることで自分自身の心の安定をはかり、子どもは毒親に従うことで自分自身の存在価値を見出します。毒親に支配された心は苦しみながらも、結局は毒親の要求に従ってしまうという悪循環から抜け出せずにいます。 子どもは毒親に振り回されてきたため自分のアイデンティティが確立されていません。自分の要求を満たすことに罪悪感を感じてしまいます。絶縁は自分の要求であるため罪悪感が伴ってしまいます。 「絶縁」は親を見捨てる、親の介護、親の病気など親の立場で考えるため躊躇してしまいがちです。今まで我慢してきた自分の気持ちを優先しも良いのだということを知りましょう。罪悪感を感じる必要はありません。自分の幸せを優先して考えましょう。親戚
「絶縁」はどんな理由であれ応援してくれる親戚は少ないでしょう。親子関係は閉鎖的でどんなに毒親が悪くても、子どもから「絶縁」をするのは世間的に理解が得られません。「親不孝者」と言われ非難されるでしょう。
毒親に迷惑を掛けられた親戚がいれば、味方になってくれることも考えられますが、毒親のことを慕う親戚がいることもあります。「絶縁」することであなたは親戚に非難され、毒親を擁護する人たちが出てくることも考えられます。 毒親が倒れたときなどは「絶縁」したあなたに代わって、兄弟や親戚が毒親の面倒をみる場合もあります。兄弟や親戚の心配をしていたら「絶縁」はできません。毒親と絶縁しながら親戚と良い関係を築くのは難しいでしょう。円満に絶縁することはできません。それでも「絶縁」したい強い意志があるなら覚悟が必要です。