熊本地震の予言は的中した?熊本地震に関する予言・予言した人

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熊本地震の予言は的中した?熊本地震に関する予言・予言した人

私たちの暮らす日本は、100パーセントの確率で国が壊滅するほどの巨大地震が起きると言われている地震大国です。2016年4月の熊本地震を経て、6月10日には「30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確立」なる統計に基づく予測地図が発表されました。

しかし、東日本大震災や熊本地震の報道にリアルタイムで触れ、より具体的な数字が示されてもなお実感が湧かないのが自然災害です。むしろ、想定される被害が甚大であればあるほど思考停止に陥ってしまう傾向があるようにも感じられます。 しかも「天災は忘れた頃にやって来る」との言い伝えもある通り、古くから地震が少ないといわれてきた大阪や福岡などの都市が大型の地震災害に見舞われることも、もはや当たり前になってきました。

2016年4月14日:熊本地震発生

2017年4月14日21時26分に震度7を観測した熊本県も、「地震が少ない」とされていた土地のひとつです。自治体職員が「まさか熊本県が揺れるとは」と漏らした言葉が印象的でしたが、調べてみると熊本地震の記録は古いもので17世紀初頭の江戸時代にまでさかのぼり、これまでに数十回発生していますが、どれもマグニチュード5から6程度の規模です。

先述した地震予測地図は2016年1月1日を基準に作成されたものなので、4月に発生した熊本地震は反映されていません。この地図によれば、熊本県が今後30年以内に大地震に見舞われる確率は、わずか7パーセントと予測されていました。熊本地震は統計や確率では予知できない地震だったのです。

「平成28年 熊本地震」の特徴

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200名以上が命を落とし、「平成28年 熊本地震」と名付けられた2016年4月の熊本地震は、1995年に発生した阪神淡路大震災と同じ“断層の横ズレ”が原因といわれます。しかし、熊本地震の発生直後から専門家や気象庁が「過去に例のない地震」というコメントを繰り返していたことは、まだ記憶に新しいところです。

そんな「前代未聞」の天災だった熊本地震。内陸特有の長い余震が続き、周辺の方々は生きた心地がしなかったことでしょう。また、熊本地震のように同地点で大型の地震が立て続けに発生したのも、1885年(明治18年)以来の観測史上初めてのことです。 専門家さえも予測できない未知の大災害とは、今後どのように展開するのか。熊本地震に底知れぬ不安を感じた方も多かったのではないでしょうか。熊本地震の一番の特徴は、震源地の益城町で14日と16日に続けて震度7の揺れを記録したことでした。震度6強から弱は5回、震度4だけでも実に90回以上の余震に見舞われたのも異例です。

長周期振動

熊本地震の発生で初めて聞いた感のある「長周期地震動」は、一言でいうと“ガタガタ”と窓を揺らすようなものではなく、“ゆら~り”と揺れの一往復に時間がかかるタイプです。比較的規模の大きい地震で生じるものですが、熊本地震では4段階ある長周期地震動のうち国内観測史上初のレベル4だったことで話題となりました。

熊本地震のような内陸部の活断層地震で、これほど強い長周期振動が観測されたのも初めてのことです。長周期地震動は干渉を受けにくく、減滅しにくいことから共振が続いて広範囲に及ぶことも知られ、高層の建物ほどダメージを受けやすいことから、熊本地震クラスの長周期地震動が発生すれば都市部の耐震構造は歯が立たない言われています。

熊本地震で「最終章」のカウントダウンが始まった?

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熊本地震では従来通り最初のマグニチュード6.2が本震と考えられたため、ひとまず自宅で待機したり、わざわざ戻った避難者は2度目の揺れで犠牲になってしまいました。のちに気象庁は、熊本地震の最初の揺れを「前震」に修正、後の揺れが「本震」だったと発表しました。

しかしそれも暫定的な仮説でしかなく、熊本地震が引き金となって九州地方が本格的に揺れ始め、日向灘沖や南海トラフが活発化するともいわれ、別の専門家はふたつの地震が時を同じくして発生したとの説を唱えています。 熊本地震のような巨大地震はそれ自体で十分の脅威ですが、地震が必ずしも単発で発生するとは限らない、という新たな認識をもつ必要がありそうです。

熊本地震でわかったこと

史上初の形態をもつ熊本地震も驚きでしたが、その観測が明治18年に始まったというのも意外なことでした。考えてみれば、それ以前の日本は西欧列強の脅威に晒されて地震予知どころではなかったのでしょう。

地震大国日本における地震予知研究の歴史は新しく、その始まりは今からわずか120年ほど前の1891年(明治24年)10月28日に岐阜県付近を震源として発生し、死者7,273名を出したマグニチュード8.0の「美濃・尾張地震(辛卯震災)」の後のことです。 のちの1905年(明治38年)には、私財を投げ打って地震予知に人生を捧げた時の東京帝国大学(現・東大)助教授だった今村明恒氏が“50年以内に起きるであろう東京大地震”を予告しています。 実際には予告から18年後の1923年(大正12年)に、死者・行方不明者10万5千人余りを出す「関東大震災」が発生しました。

ピンポイントで予測できなければ効果が薄い?

初期の地震予知は過去データもなく根拠に乏しいとされたことから、占い程度にしか認識されていなかったようです。地震の予知や予言は、悪戯に世間を混乱に陥れるとして批判の的になりました。

熊本地震まで経験した今でこそ日本人にも防災意識が高まっていますが、ほとんど死の宣告に近い地震発生の警告は、人を無気力にさせるかパニックに陥れることしかできないと思われました。実際のところ、50年以内という大ざっぱな括りで予測したところで、関東大震災での被害がどれほど食い止められたかは疑問です。
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