【男女別】アイヌ出身・末裔の芸能人|日本/少ない理由

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アイヌってどんな人たち?

【男女別】アイヌ出身・末裔の芸能人|日本/少ない理由

アイヌ民族の概要

アイヌ民族は、北海道・樺太・千島列島、そしてロシアのカムチャッカ半島南部に住んでいた狩猟採集民族で、文字を持たずにアイヌ語を話していました。毛皮や海産物をロシアと交易を行っていて、オホーツク海一帯に経済圏を持っていました。

17世紀に入ると、大和民族(青森以南の日本)との交易が盛んとなります。大和民族と自分たちを区別するために、アイヌ語で「人間」を意味する「アイヌ民族」と自称し始め、大和民族の事を「隣人」を意味する「シサム」「シャモ」「シサムウタラ」と呼びました。 一方、大和民族は自分たちを「和人(わじん)」と称し、アイヌ民族を「蝦夷(えぞ)」「土人(どじん)」と呼ぶようになりました。

アイヌ民族の起源

アイヌ民族がどこから来たのかは諸説あります。江戸時代に入って、本州の大和民族との交易が盛んになるまで、文献や考古学的な遺跡が乏しい事が理由です。近年ではDNA解析が進み、中国とロシアの境にあるアムール川(黒龍江)流域にいる少数民族との関係が注目されています。

昔は大陸から海を渡って来た弥生人に追われて、縄文人は南北に逃げ、北に逃げた縄文人がアイヌ民族になったという説が広く信じられていました。しかし近年では自然人類学の分野で「大和民族は弥生人と縄文人の混血で、アイヌ民族は混血が進まなかった」という見解が支持されています。 よって、現代ではアイヌ民族は大和民族に追われて北海道に逃げたのではなく、元々北海道に住んでいた縄文人の子孫となります。

日本人との違いはあるの?

江戸時代末期に外国との国境を決める際に、アイヌ民族はその居住地によって大半が「日本国民」に、一部が「ロシア人」と定義されました。よって、日本に住むアイヌ民族は日本人です。現在は北海道の他にも首都圏にもアイヌ民族は住んでいます。

日本国民としての大和民族とアイヌ民族の違いはありませんが、身体的な特徴にいくつか違いが見られます。まずアイヌ民族は、大和民族に比べて肌の色が褐色で、全体的に顔の彫りが深く、「濃い顔」の人が多いです。体毛も濃く、天然パーマの人が多いのも特徴です。 それからモンゴロイド特有の、新生児のお尻の青いアザがあまり見られません。そして大和民族と比べると身長が低いですが、手足は長くなっているなど、こまごまとした違いが見られます。

アイヌの歴史

アイヌは文字を持たなかったので、記録は大和民族の文献によるところが大きいです。最初の記録は鎌倉時代、北条氏の家来だった「安東氏(安藤氏)」が「蝦夷管領」に任命され、蝦夷地(北海道)を管轄に置いたとされています。この事から元々安東氏はアイヌ民族ではないかという説もあります。

しかし安東氏が津軽(青森県)で内紛を起こしたり、元(中国)に攻撃をしかけたりしましたが、アイヌ民族との交易などで発展していきます。戦国時代になるとアイヌ民族と大和民族の戦いが頻発するようになりますが、江戸時代になると、江戸幕府公式で交易するようになりました。 そして明治となり、蝦夷地は北海道と改名し、多くの大和民族が移住してきました。そこでアイヌ民族は居住地や、狩猟、漁業などを制限され、厳しい時代へと入っていきます。

現在のアイヌ

現在は日本人として、大和民族もアイヌ民族も変わらない生活をしています。「アイヌ人居住地」はありませんが、観光地としてのアイヌコタン(アイヌ人の村)はがあります。

明治以降、アイヌ民族は大和民族と積極的に婚姻を結んでいました。しかしそれは、迫害を少しでも減らそうと、大和民族と同化し、アイヌ民族の血を薄めようとしていたのだと指摘されています。 長い間差別をされてきたアイヌ民族は、出自を隠す傾向にありませんでしたが、近年は「アイヌ民族である」という事を肯定的に捉えられる事も少なくありません。失いかけていたアイデンティティを取り戻すために、さまざまな活動をしています。その一つとしてアイヌ伝統芸能を広めるために芸能の道を選ぶ人もいます。

アイヌ出身の芸能人はいるの?

【男女別】アイヌ出身・末裔の芸能人|日本/少ない理由

江戸時代末期に日本人と定義されたアイヌ民族は、現在は日本語を話し、日本人と変わらない生活を送っています。主に北海道に多く住んでいますが、首都圏に住んでいるアイヌ民族もいます。

アイヌ民族につけられた名字も、北海道の地名や、アイヌ語の音に近い漢字を組み合わせたり、アイヌ語の意味でつけたりしているので、大和民族と変わりません。本人から「アイヌ出身です」と言われないと隣に住んでても気づかない人も多いでしょう。
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