二枚舌外交の方法・二枚舌を使うことのメリット・デメリット

雑学

過去に実際に行われた二枚舌外交

二枚舌外交の方法・二枚舌を使うことのメリット・デメリット

それでは、実際にはどんなことがあったのでしょうか。過去の二枚舌外交について、詳しく見てみましょう。

イギリスの「三枚」舌外交!

二枚舌外交の方法・二枚舌を使うことのメリット・デメリット

三枚舌外交とは、第一次世界大戦での中東問題をめぐるイギリスの外交政策のことを指します。アラブ人とユダヤ人の対立に要因があるという見方から、二枚舌外交と呼ばれることもあります。

それでは、イギリスはどのような約束をしたのでしょうか。具体的にみていきましょう。

アラブ人にオスマン帝国の国の一部を与えます!フセイン=マクマホン協定

第一次大戦中、イギリスは、オスマン帝国とドイツと戦っていました。その戦いにおいて、勝利するために結んだ条約が、1915年10月に結んだ、フセイン=マクマホン協定でした。

これは、アラブ人にイギリスが国を与えると約束するもので、その代償にオスマン帝国内で反乱を起こすように約束したものです。そうすることで、オスマン帝国は内部からも攻撃に見舞われ、イギリスへ十分な攻撃を仕掛けることができなくなるという寸法です。

ユダヤ人にオスマン帝国の国の一部を与えます!バルフォア宣言

こちらもイギリスが勝利するためにした宣言です。

どういうことか説明しますと、第一次世界大戦中、イギリスは経済苦難に見舞われました。そこで、その経済苦難をどうにかするために、在米ユダヤ人に資金を出してくれるようお願いしようと考えました。 オスマン帝国の国土には、ユダヤ人の民族的郷土であるパレスチナがありました。そこでイギリスは、自分が勝利した暁にはこのパレスチナをユダヤ人の国にしようと、1917年11月にバルフォア宣言を出しました。 かねてから、パレスチナに国を持ちたいと考えているユダヤ人にとって、これは魅力的な宣言でした。アメリカで成功を収めたユダヤ人たちが喜んでイギリスを支援しました。

オスマン帝国の国土は戦勝国で分けましょう!サイクス・ピコ協定

バルフォア宣言の前にイギリスは、オスマン帝国とドイツと共に戦っていた連合国と1916年5月 にサイクス・ピコ協定という協定を結んでいます。この協定では、オスマン帝国に勝った後、勝利した連合国でオスマン帝国の国土を分ける約束をしていました。

イギリスがこの協定を結んだ理由は多々ありますが、特にスエズ運河の経営権を、同じ連合国のフランスに邪魔されたくなかったというものがあります。 イギリスはすでにこの時インドを植民地支配していました。そのインドで得られる富を運んでくれるのが、スエズ運河でした。ここで、スエズ運河の付近をフランスが支配することになると、スエズ運河の支配権も影響されることになるので、それを避けたいと考えました。 そのため、フランスの支配権がスエズ運河に及ばないような、領土の分割を図りました。これがサイクス・ピコ協定をイギリスが結んだ理由になります。

あれ?なんか矛盾してない?3つの約束のその後

見出しを追っていただくと、アラブ人とユダヤ人、連合国それぞれに同じオスマン帝国の領土の支配権が戦勝後わたる、と言うお話をしていると気づかれることでしょう。

実際に大戦後、イギリスは2つの方面から文句を言われます。アラブ人からは、自分たちの独立国ができるはずなのに、どうして連合国が国土を分けているのかと怒られ、ユダヤ人はパレスチナに入植できたものの、年間の受け入れ人数の制限があることに不満をもち、テロを起こしたりしました。 アラブ人にはイギリスの勢力圏になった地域を与えることで、懐柔することができましたが、ユダヤ人の入植の制限は、もともとパレスチナにいたアラブ人と対立することを恐れて変えることができず、第二次世界大戦後にイギリスは、国際連合にこのユダヤ人の問題を委ねることとなりました。

聖地エルサレムを巡って

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それでは、第二次世界大戦後イギリスが委ねた国際連合に、ユダヤ人とパレスチナの問題はどうなったのでしょうか。

国際連合は1947年11月、パレスチナ分割案を採択しました。これは、パレスチナをアラブとユダヤの2カ国に分け、ユダヤ人、アラブ人どちらにとっても大切な場所、聖地エルサレムおよび周辺地域を国際管理下におくと言うものです。 エルサレムを支配していたアラブ諸国は、このパレスチナ分割案に猛反対していましたが、パレスチナ分割案は採択されてしましいました。
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