人体実験の歴史と日本で実施された人体実験|死刑囚/性/戦争
日本よって実施された人体実験
日本は、原子力爆弾を投下された唯一の被爆国ですが、敗戦した日本は、被爆生存者に対して治療とは関係のない人体実験や解剖を行い、その結果をすべてアメリカに渡していました。「治療の役に立つのなら」と協力を承諾した被爆者たちの気持ちを踏みにじり、アメリカが喜ぶ報告をするために、さまざまな人体実験を行っていたと言われています。
日本政府はアメリカにすり寄るため、原爆投下の2日後には治療目的という名目で調査を開始しました。アメリカは、原爆を今後の戦争に使うために被害データを欲していました。直接的ではないにしても、日本政府は原爆被害者の気持ちを裏切り、戦争を手助けするために人体実験の結果を報告していたということです。過去に実施された有名な人体実験
731部隊
第二次世界大戦中、日本軍の秘密部隊、関東軍防疫給水部、通称「731部隊」という、生物兵器の研究、人間の肉体の強度、治療回復方法などを知るために、人体実験を行っていた部隊が存在していました。「731部隊」の人体実験による死者は、3000人以上に上ると言われています。最終的には証拠隠滅のため、生き残っている人もいる状態で、施設ごと爆破されました。
「731部隊」には、軍人だけではなくエリート医師たちも参加し、非人道的なさまざまな実験が毎日のように行われていました。「実験材料」として集められた捕虜や囚人たちは全員丸坊主にされ、人としてではなく、まるで木材のようにぞんざいに扱っていたため、「マルタ(丸太)」と呼ばれていたという資料が残っています。細菌兵器実験
731部隊は、信じられないような人体実験を数多く行っています。中でも生物兵器の実験には力を入れおり、さまざまなタイプの人体実験を「マルタ」を使って行っていました。「マルタ」を30人ほど広場に集め、そこに細菌爆弾を30キロほど投下して爆破する実験が頻繁に行われていたと言われています。
細菌爆弾によって何人ぐらいが死に、生き残った者はどのような傷を負ってどこから細菌に感染したのかなどを、爆弾によって吹き飛ばされた「マルタ」たちを解剖したり、経過を観察したりすることで調べていたと元兵士が証言しています。人体強度実験
731部隊の人体実験では、人間の強度についても深く観察されていました。戦場での治療や回復速度などの検証ということで取り組まれていたのですが、とても必要とは思えない実験ばかりだったと言われています。
零下50度の冷凍庫に裸の人間を入れて、何時間で死亡するかを観察したり、密閉された空間に「マルタ」を閉じ込め、ガスを充満させて死ぬまでの経過を観察したりと、そのような恐ろしい実験が日々繰り返されていました。死亡した者は隅々まで解剖され、生き残った者は、死ぬまで実験に参加させられました。ツヅガムシ
1950年に「新潟ツツガムシ病人体実験事件」とも呼ばれる人体実験が行われていました。新潟精神病院の患者らに大学病院の内科医たちが「ツツガムシ病」の原因となる「リッケチア」という病原体を無許可で投与し、当時の日本では輸入許可、使用許可の出されていない薬を使って熱を下げる実験をしていました。
「ツツガムシ病」は、初期は風邪のような症状で、次第に高熱になり、最終的に肺炎のようになって死亡する例もあります。実際に、患者8名が死亡しており、1名が自殺しています。また、患者の注射した部位の皮膚を切り取り、研究の材料として持ち帰ったりしていました。ナチスドイツ・双子
ナチスドイツ軍の強制収容所でも、さまざまな人体実験が行われていました。収容所のリーダーを務めていたヨーゼフ・メンゲレは、味方であるドイツ人を効率的に増やすため、双子に目をつけました。双子が増えれば、倍の人口増加が見込めるからです。メンゲレは、実験対象である双子を集め、さまざまな実験を開始しました。
初めは身体を比較するだけの簡単なものでしたが、徐々に身体のさまざまな部分を麻酔なしで切断したり、生きたまま解剖したり、性器の切除や性転換など、残忍な外科手術を行うようになりました。 そのうち、切断するだけではとどまらず、双子の背中の静脈を繋いで縫い合わせ、人口の「結合双生児」を作り出すといった、常軌を逸した人体改造も始めてしまいます。手術は当然成功せず、双子は感染症にかかり、もがき苦しんだと言われています。双子の両親はその姿を見かねて、手術から3日後に窒息死させています。